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カテゴリ <香港初在住日記 1996-1998> ( 201件  古い記事順 )
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香港初在住日記 概要と目次



滙景花園/Sceneway Garden
(1996年 - 2002年)
初めての海外在住生活の日記です。
1996年7月31日から1998年4月までの日記から抜粋しています。

日本ではずっと技術屋でアジアが好きでした。で..
日本で設計して香港の会社に生産委託、中国工場で生産しアメリカへ輸出する、という会社に転職、したがって年に1ヶ月程度の中国出張があり、ここで中国生活と少しの香港生活を経験。入社4年で香港に出る決意をし、会社を辞め1996年7月31日香港へ。奈良語しか話せないまま(特に英語は最悪)、面接をすませていた会社に就職・・

Exblogで2006年6月から2008年8月にかけて毎週2回、計200回連載しました。FC2ブログ移転時に10記事を1つにまとめて全20記事に編集し直しました。
1996年 7月31日 香港へ
1996年 8月 1日 初出勤、普通預金口座開設
        アパート決定(淘大花園/Amoy Garden)
1996年 8月30日 総合預金口座開設
1996年 9月29日 淘大花園から滙景花園(Sceneway Garden)へひっこし
1996年10月11日 ワーキングビザ取得
1996年11月14日 IDカード取得
1997年 2月 8日 1997年春節
1997年 2月19日 鄧小平死去
1997年 5月   胆石手術で日本へ
1997年 7月 1日 香港返還、中国・香港特別行政区となる
1998年 2月20日 会社を辞職


香港初在住日記( Ⅰ )  1996年7月31日 - 1996年12月31日
【 1】1996.07.31-08.01 いざ香港へ 【 2】1996.08.03 香港のマンションの初休日-ガス屋 【 3】1996.08.07 中国・東莞工場見学 【 4】1996.08.17 英国文化協会へ 【 5】1996.08.20 子供と老人と自転車、ビザ申請 【 6】1996.08.22-23 請求書と支払い 【 7】1996.08.26 疲れた深圳の休日 【 8】1996.08.30 銀行口座開設、買い物 【 9】1996.09.09 Phone Banking 【 10】1996.09.10 英語の初レッスン
【 11】1996.09.11 初小切手作り 【 12】1996.09.14 日本製 【 13】1996.09.18 自動振込機 【 14】1996.09.25 日本へ初振り込み、電話の申し込み 【 15】1996.09.27 中秋節 M氏の経歴 【 16】1996.09.29 引っ越し 【 17】1996.10.04 腹痛 【 18】1996.10.05 電話設置 【 19】1996.10.06 再び中国へ遊び 【 20】1996.10.08 英語のレッスンと帰りのバス
【 21】1996.10.09 香港2度目の自炊 【 22】1996.10.11 ワーキングビザ取得 【 23】1996.10.13 安物と高級品 【 24】1996.10.15 お国訛りいろいろ 【 25】1996.10.23 IDカード申請 小切手 【 26】1996.10.27 非常ボタン? 【 27】1996.11.01 今日から11月 【 28】1996.11.03 絵を買う 【 29】1996.11.10 マンション近くのバス停探索、初餃子作り 【 30】1996.11.12 英語レッスン 1ターム終了
【 31】1996.11.14 IDカード取得 【 32】1996.11.17 複雑な香港の電気機器事情と深水埗 【 33】1996.11.19 急激に冬へ 【 34】1996.11.30 事務所のぼや-小火 【 35】1996.12.01 新年カード 【 36】1996.12.06-11 中国東莞工場へ 【 37】1996.12.11 香港の日本人事情いまむかし 【 38】1996.12.13 テレビドラマ 【 39】1996.12.14 ある香港人同僚との会話 おっ、お金持ち! 【 40】1996.12.15 尖沙咀への路線バス
【 41】1996.12.18 香港有線テレビ雑感 【 42】1996.12.21 日本料理屋 【 43】1996.12.23 香港と中国をまたぐ会社の配置転換 【 44】1996.12.24 クリスマスイブ、結婚披露宴の招待状 【 45】1996.12.30 年末から元旦へ
香港初在住日記( Ⅱ )  1997年1月1日 - 1997年6月28日
【 46】1997.01.03 日本のドラマ「29歳のクリスマス」 【 47】1997.01.13-14 香港で仕事で初めての徹夜 【 48】1997.01.16 香港人Mr. Tと 【 49】1997.01.18 中国東莞工場へ - タクシー 【 50】1997.01.21 中国東莞工場で(第4日)ゲストハウスの水トラブル
【 51】1997.01.22 中国東莞工場で(第5日) 【 52】1997.01.23 中国東莞工場で(第6日)香港で同僚の結婚式 【 53】1997.01.25 中国東莞工場で(第8日) 結婚披露宴の翌朝 【 54】1997.01.29 中国東莞工場から12日ぶりに香港へ-白タク初体験 【 55】1997.01.29 中国東莞工場から12日ぶりに香港へ - 海鮮料理 【 56】1997.01.31 東京出張~春節帰省 【 57】1997.02.10 東京出張~春節帰省(2) 【 58】1997.02.13 2週間ぶりに香港へ 【 59】1997.02.17 春節あけの初出勤-紅包 【 60】1997.02.18 マンションのお隣さん-キャセイのスッチー
【 61】1997.02.19 鄧小平死去のニュース 【 62】1997.02.20 鄧小平の死と香港人の感情 【 63】1997.02.21 日系アメリカ人Mr. KK 【 64】1997.02.25 Kit Chan 陳潔儀 【 65】1997.03.01 冬の蚊 【 66】1997.03.02 中国工場Ⅱ第3日 【 67】1997.03.04 通訳の面接 【 68】1997.03.05 中国工場Ⅱ 中国カラオケへ 【 69】1997.03.08 中国工場から香港に戻る 【 70】1997.03.09 久しぶりのような日曜日 香港で
【 71】1997.03.10 また中国東莞工場へ 【 72】1997.03.12 中国工場で シンガポール人技術者 【 73】1997.03.13 中国工場で ある朝鮮族中国人の恋 【 74】1997.03.14 中国工場で - ちょっとしたトラブル 【 75】1997.03.15 中国工場で - やっと香港へ 【 76】1997.03.17 そしてまた中国・東莞工場へ 【 77】1997.03.23 東莞工場で また日曜出勤・・ 【 78】1997.03.24 東莞工場で - 初マッサージ 【 79】1997.03.26 東莞工場で - うわさ 【 80】1997.03.29 香港は復活祭の休日
【 81】1997.03.30 見せかけの香港? 【 82】1997.03.31 復活祭最後の休日 【 83】1997.04.01 香港で - アパート問題 【 84】1997.04.02 中国工場へ - 感情が爆発 【 85】1997.04.03 中国工場 寮のボヤ 【 86】1997.04.04 国際機確認証ISO9000 【 87】1997.04.10 雨の日のロマン AUDIX - 不要輻射試験 【 88】1997.04.13 香港で - 除湿器とじゅうたん 【 89】1997.04.14 週明けの中国工場へ 【 90】1997.04.16 中国工場で - 寮(ゲストハウス)の風呂
【 91】1997.04.21 深圳のイミグレで 【 92】1997.04.27 香港アパートのクーラー修理 【 93】1997.04.28 香港事務所で 【 94】1997.05.01 メーデー 【 95】1997.05.07 「愛多」 - 当時の有名なVCDメーカー 【 96】1997.05.09-10 中国工場から恵州へ出張 【 97】1997.05.11 ある香港人の若者 【 98】1997.05.18 自宅に香港人を招待 【 99】1997.05.20 胆石手術のため帰国へ - 帰国寸前の大騒動 【100】1997.05.21 奈良で - 手術帰省なのに雑用が・・
【101】1997.05.27 手術 【102】1997.06.16 日本での手術を終えて香港へ 【103】1997.06.19 香港返還記念切手の申し込み 【104】1997.06.20 手術休みあけで久しぶりの中国東莞工場へ 【105】1997.06.22 香港の休日
香港初在住日記( Ⅲ )  1997年6月29日 - 1997年12月30日
【106】1997.06.29 香港返還前前夜 【107】1997.06.30 香港返還前夜 【108】1997.07.01 回帰香港1997、香港返還 【109】1997.07.03 フェリーで回帰香港後の東莞工場へ 【110】1997.07.07 ひどい頭痛
【111】1997.07.10 クビになった小姐 【112】1997.07.13 日曜・香港で休息中なのに 【113】1997.07.19 タクシー乗り換え 【114】1997.07.20 初めての香港ペニンシュラホテル 【115】1997.07.33 社用車のとんでもない運転手 【116】1997.07.24 中国カラオケへ 【117】1997.07.27 上海出張前夜 - 香港の休日 【118】1997.07.28 上海出張日記第1日 初めての上海 【119】1997.07.29 上海出張日記第2日 気のいいポン引きとひげそり 【120】1997.07.30 上海出張日記第3日 ちょっといい加減な社用車運転手
【121】1997.08.05 香港で3つめのIP電話会社に登録 【122】1997.08.08 香港事務所で - 中国からの訪問者 【123】1997.08.09 香港のたばこの値段 【124】1997.08.10 香港の休息・日曜日 【125】1997.08.13-14 今日も香港勤務 中国工場が懐かしい? 【126】1997.08.16 日本人とフィリピン人の結婚式 教会で 【127】1997.08.19 3週間ぶりの中国東莞工場 【128】1997.08.23 香港の休日 香港カラオケへ 【129】1997.08.24 尖沙咀の休日 【130】1997.08.31 日本へ電話三昧
【131】1997.09.01 香港返還記念切手やっと入手 【132】1997.09.06 香港の庶民的なレストラン 【133】1997.09.11 香港で大寝過ごし 【134】1997.09.13 Ms.Kの困窮と嘘 【135】1997.09.14 頭痛と休息 - 香港で 【136】1997.09.17 中秋の名月と再び頭痛 - 香港 【137】1997.09.19 株主総会 - 香港 【138】1997.09.22 明日からまた上海出張 - 香港で準備 【139】1997.09.23 上海出張 - 初めての中国国内便を行く 【140】1997.09.27 出張中・土曜日の上海 - 4級VCD
【141】1997.09.28 上海出張最終日 【142】1997.10.01 香港初の国慶節休日 【143】1997.10.03 日本へ設計の仕事に行った香港人 【144】1997.10.05-06 再び鍵が中に・・深夜の締め出し顛末 【145】1997.10.10 日本から友人の来港 9時20分、10時20分? 【146】1997.10.12 訪問者と香港の休日 輸入オーディオの値段 【147】1997.10.14 香港旅行の友人帰国 【148】1997.10.19 香港・会社の寮にフィリピン人女性たちが・・ 【149】1997.10.23 上海出張 - 危険なタクシーの呼び込み 【150】1997.10.25 上海出張 - 上海の休日
【151】1997.10.28 上海出張を終えて香港へ 【152】1997.10.30 偶像 - アイドル 【153】1997.11.01 中国東莞工場へ - 再び日本の中古タクシーが 【154】1997.11.12 ある中華系アメリカ人の社員 【155】1997.11.13 社用車の運転手のマナー 【156】1997.11.16 アントニオ猪木 - 香港・尖沙咀東 【157】1997.11.28 雑談 -- 東莞工場で 【158】1997.12.01 香港12月 【159】1997.12.03 日本へ行った中国人の感想 - 東莞工場で 【160】1997.12.04-5 風邪 -- 東莞工場で
【161】1997.12.07 日本のスーパー・ヤオハンの倒産 - 香港 【162】1997.12.08 深圳・羅湖の食堂で 【163】1997.12.12 深圳観光ガイド経歴を持つ中国人社員-東莞工場で 【164】1997.12.14 VCD - 香港の休日 【165】1997.12.15 ふたたび職工食堂へ - 深圳・羅湖で 【166】1997.12.22 みたび職工食堂へ 【167】1997.12.26 結婚したら女性は仕事を辞める! 【168】1997.12.30 大晦日前夜の中国工場
香港初在住日記( Ⅳ )  1997年12月31日 - 1998年2月20日 退職まで
【169】1997.12.31 家族が香港へ 【170】1998.01.02 家族で海鮮料理 - 香港
【171】1998.01.03 家族の帰国 【172】1998.01.12 会社唯一のアメリカ人 - 東莞工場で 【173】1998.01.19 社のある日本人部長のこと 【174】1998.01.22 春節帰省の飛行機手配 【175】1998.01.24 春節帰省1998 奈良へ - キャセイCX502 【176】1998.01.25 日本でVCDプレーヤーを買う - 春節帰省1998 【177】1998.01.28 奈良散歩 - 帰省1998 【178】1998.01.31 大学時代の仲間と - 帰省1998 【179】1998.02.04 春節休暇を終えて香港へ - 帰省1998 【180】1998.02.07 東莞の土曜日
【181】1998.02.18 自分の送別会 - 中国東莞工場で 【182】1998.02.20 退職 - 最後の給料は差し止めか・・?
香港初在住日記( Ⅴ )  1998年02月21日 - 1998年3月22日
【183】1998.02.25 退職後数日 - のんびり 【184】1998.02.26 香港の離れ島へ - 梅窟 【185】1998.02.27 香港の離れ島 長州島へ行く 【186】1998.02.28 香港人・クリスの結婚式 - 教会で 【187】1998.03.01 食事会といろいろな米 【188】1998.03.03 税金支払い奮闘記(1) - 香港税務署 【189】1998.03.04 税金支払い奮闘記(2) Very麻煩 - 香港税務署 【190】1998.03.05 かつての同僚と出会う - Pasonaを知る
【191】1998.03.06 求職活動を開始 【192】1998.03.10 人材登録に行く 【193】1998.03.12 2件の求職面接と税金不正処理 【194】1998.03.13 香港の給料を考える 【195】1998.03.15 FAXを買う 【196】1998.03.17 一つの会社を辞退する 【197】1998.03.19 初めての返還前のマカオへ (1) 人力車 【198】1998.03.19 初めての返還前のマカオへ (2) バスで 【199】1998.03.22 香港・ランタオ島宝蓮寺へ - 写真日記 【200】---------- 求職その後と香港生活 - エピローグ
(完)
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2006-06-27 コメント(0)

【1】  1996年7月31日(水) - 8月1日(木)  いざ香港へ

1996年7月31日、片道切符で香港へ。日本の会社を退職して香港に出てオーディオの設計技術者として日系現地企業に再就職しました。
1996年を選んだ理由は97年の中国への返還まであと1年、じっくり違いを感じることができるだろうと思ったからです。

そしてこの日から日記をつけ始めました。
香港での最初に就職した会社を離職するまでの1年7ヶ月、ノート5冊分。これから定期的に振り返ります。
来港記念日7月31日と8月1日の日記ですが合わせてノート8ページにわたって書かれていました。その抜粋です。
1996年7月31日水曜日の夕方、40kgの荷物を持って香港に到着。新しく勤務する会社が手配してくれていたホテルにチェックイン。チェックイン後、地下鉄で会社に向かう。面接時に来ただけなので道がよくわからず、会社の名刺を頼りに通行人に3度ほど道をたずねながら会社にたどり着く。

その日のうちに総務で入社手続き、契約書にサイン。終業規則には休日が年107日と。思っていたよりも多い。隔週5日制。出勤日の土曜日は半日勤務。香港のワーキング・ビザを申請するために離職票と卒業証明書が必要だと言われる。日本にいる時に言ってほしかった...

そして勤務第1日目の8月1日、午前に銀行へ行って口座を開設、午後、既に契約がすんでいるというマンションへ。途中、10万円を香港ドルに両替。
部屋は32階で窓からは空港の滑走路が少しだけ見える。しかしながら自分の思いとは違って少し貧弱...

旧香港啓徳空港。(まだデジカメがなかったのでフィルムカメラからスキャン)


会社の香港事務所には日本人も多く、マンション見学から帰ると彼らが寄ってきてどんなところだったか、と聞いてくる。よく問題があるとのことで私の場合も紆余曲折を経て結局2ヶ月後には引っ越しすることに。




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2006-06-28 コメント(0)

【2】  1996年8月3日(土)  ガス屋が来た

私は外国語というのが全くだめ、できるのは奈良語だけという状態で香港にやってきたのですが・・・
今回は1996年8月3日の日記からの抜粋です。
香港に来て初休日の土曜日。総務からの連絡でガス屋が来るので家にいるようにとのこと。
予約時間が2時から4時の間と言うので待っているとなかなか来ない。電話が来た。広東語はまったくなので英語で話してくれることを期待して「Hello!」と応答するも広東語で話しまくられてさっぱり判らず。向こうは英語がだめな様子。
再び電話が...同じ繰り返し。
3度目の電話が.. 覚悟を決めて受話器を取る。今度はたどたどしいが英語。ほっとする。この僕が英語でほっとするとは・・・
5時以降に行くと言っていることが聞き取れた。「OK」と返事をして電話を切る。
4時45分、マンションの入り口からだろうか、インターホンが入り「Please door open」と言うのが聞き取れた。


明細書。ここにサインをしました
5分後、31階の僕の部屋にガス屋が訪れた。ガスコンロを2連のものに取り替え、周辺を点検後、片言の英語(こちらも片言)で使用方法を説明してくれた。買っておいたコーラを冷蔵庫から取り出して渡そうとすると「No」と手を振り出て行った。

これで終わりとほっとするとしばらくして呼び鈴、またガス屋が。さっきとは別の男性、今度は英語が全く話せない様子で身振り手振りの会話。彼はバスの給湯器の点検と調整を。

すべて終わった時は6時をすぎていた。なんか訳のわからない1日だった...
お腹が減った。
この日の失敗
今は日本でも珍しくないと思うのですが、マンションのロビー入り口には鍵がかかっていて来訪者は訪れる人に入り口のロックをはずしてもらう必要があるのです。 アンロックのスイッチは各部屋のインターホンに付属しています。
インターホンがかかってきた時はそんなシステムなど知るはずもなく、「Please door open」と言われた時、ロビーの入り口のロックではなく、部屋のドアのロックをはずして待ってたのです。ハハハですね。ガス屋はたぶんロビーにいる管理 人に事情を説明して入ってきたのでしょう。
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2006-07-05 コメント(0)

【3】  1996年8月7日(水)  東莞工場見学

この会社は香港で設計、中国・東莞の工場で生産というシステムです。で、中国へ出張する時は、深圳・羅湖駅の駐車場に待機させてある社用車を利用します。
深圳へは香港から鉄道(KCR)があります。 近畿車輛製車両を多く使用しています。
朝7時過ぎ地下鉄で九龍塘へ、ここからKCRに乗り換えて羅湖へ。会社の車は羅湖9時発。車に乗って1時間半ほどで工場到着。豪華さに驚く。これまでいくつかの会社の中国工場を見たが雲泥の差。メチャゆとりのある空間で全館冷房完備。
これだとかなりのコストがかかっていそう。従業員は1500人ぐらいで寮暮らし、三食は会社提供。

こういう中国工場には社員食堂も一般用ともう一つ豪華な食堂があるのが普通で、豪華な方は上層部の人、香港人や日本人、来客などが利用可能。入り口には管理人が厳しくチェック。この食堂には2階に上層部の宿舎や出張者の宿舎もあり、1階にはビリヤード、麻雀室などの娯楽設備もあった。今まで見た中国工場とは全く違う。

一緒に来た香港人が事務所を案内してくれた。彼は「Very expensive」を連発しながら案内してくれる。僕も同様もったいないと思う。工場長は台湾訛りの中国語を話す日本人。

帰りも会社の車で羅湖へ。香港人の夫を持つという広東語ぺらぺらの日本人もいた。
どんな中国工場でも当時は普通、社員は原則全寮制、三食または二食付き。別の会社の寮を見たことがありますが6畳ぐらいの部屋の両側に二段ベッドを置いて8人、もしくは10人入ります。役職がついてくると同居人数が少なくなりますが、コンクリートむき出しで殆ど内装無しの部屋。そういうのに比べるとここは天国みたいな雰囲気です。ただ、新しくできたばかりの不便な土地であたりに何もなく買い物にも車で10分ぐらい行かなければなりません。でもバラック造りの散髪屋や食堂ができてました。ほんとのバラックですが。

今回の見学地とは違いますが当時、工場というのはこんな雰囲気のところにあるのが多かった。ここはまだ都会ですが..

これもこの会社とは全く関係ありません。残業後に香港人と中国人、それに写真を写してる日本人の私もお疲れさん、午前3時です。

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2006-07-11 コメント(0)

【4】  1996年8月17日(土)  英国文化協会へ

英会話教室へ行こうと思い、会社の香港人に紹介された「英国文化協会」と言うところに行きました。まだ香港に来て間もない上、広東語ができないのはもちろんのこと、英語も標準を大きく下回っている私の実力。
広東語か英語で手続きしなければならないのに大胆にも一人で行った私には受付を通るにも一苦労のこの日でした。
1997年の香港返還意向はきれいな場所に移動しましたが、当時は古いビルの中に狭い部屋が迷路のように入り組んでいました。

香港の階の数え方はイギリスと同様、日本の1階が地階で2階が1階となります。
英国文化協会へ。1階へ行ったり地階へ戻ったりして雰囲気を観察しながら地階の受付で頭の中で予習していた「I would like to study English」と言い書類をもらう。40香港ドル。

このあと筆記試験、面接を経て実力に応じたクラス分けをおこなって、どの地域の分校に行くかの選択、それに納金。
始めから順序を間違えて先に面接に並んだり、言葉がわからないので、周りの人を観察しながら次の行動を決めたりとか散々だったが、何とか無事メニューをこなして月木曜の8時から9時40分、湾仔の本教室で、ということに決定。
レベルはGEA2クラスと判断された。Adult Biginerの1つ上のクラスと言うこと、おそらく、一番下の授業だけ免除、ということ。やっぱりレベルは低かった。
授業料はキャッシュはだめだと言い、振り込み用紙みたいなのをもらう。
教科書

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2006-07-12 コメント(0)

【5】  1996年8月20日(火)  子供と老人と自転車、ビザ申請

香港で仕事をするにはまずワーキングビザをとらなければなりません。
でも本人が行く必要なくて代理申請が可能です。
この会社は入境管理所との手続きを全てやってくれまして、私はこの会社にいる間、入境管理所へは一度も行ったことがありません。必要書類を言われたとおりに提出しただけです。始めはあまり考えなかったのですが、これはいいこととは言えません。やっぱり普通に手続きを把握しておかないと...

今回言われたのは離職票と大学卒業証明書。こちらに来てから言われたので家族に電話して送ってもらいました。卒業証明書は日本語で提出、昭和って何だ、とか言われたらしいですが問題なしでした。いずれも用済み後、オリジナルの離職票と卒業証明書は返却されました。
仕事で初めて香港に来た時は尖沙咀のような繁華街しか行かなかったせいか、年寄り、子供を見かけた記憶がない。車はたくさん走っていても自転車・二輪車のたぐいも全く見なかった。でもここに住むようになって年寄り・子供はうんざりするほど見かける。
地下鉄に行く途中の高架道路下のスペースはミニ公園なのだろうか、丸い石のテーブルが置かれていてそこには朝夕の通勤時に年配の人々、老人などが座り込んで将棋をしたり、うちわで扇ぎながら涼をとったりしているのを見かける。少しは庶民の生活を楽しめるようにはなってきた。まだ食事は困るが・・・

今日はビザ申請のため申請資料にサインをする。
パスポートは申請をすると一旦こちらに返してくれるそうだ。ビザがとれるとIDカードの申請をしなければならないそうで、またいろいろややこしい。まだ落ち着くには当分かかりそうだ。

こちらに長く住んでる人でもたいがい英語ですませている男性が多いなか、会社の日本人女性は広東語を覚えている人もいるようで、女性の方が地元によく馴染むような気がする。
今日は新しいタイプの飯屋を。食券を買って調理に提出、番号が呼ばれるのを待つ。数字は広東語で覚えているもののうまく聞き取るのは困難だった。
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2006-07-18 コメント(0)

【6】  1996年8月22日(木), 23日(金)  請求書と支払い

香港のマンションのそれぞれの部屋は、個人が所有しています。
たとえば投資目的で買ったオーナーと賃貸契約を結んで借ります。

不動産屋を通して借りた場合、不動産屋の手数料は家賃1ヶ月分でオーナーと借り手が50%ずつ払います。あとはオーナーに支払う家賃2ヶ月分の保証金が必要ですが、これはマンションを引き払う時にたいがい全額返ってきます(不良オーナーもいますが..)。したがって入居時には当月の家賃を入れて家賃の3.5ヶ月分が必要です。

電気やガス、管理費などほとんどの請求はオーナーの名前で送られて来て、始めは部屋を間違えているのでは...と思ったのですが、そのうちおかしいと気づきこれをどうしたらいいかと。
会社にわたせば処理してくれるらしいのですが、自分でやりたいと思って...
昨日来ていた請求書、電話代と住居の管理費をどうしたらいいか判らず会社でたずねる。
ある人は小切手を管理人に渡すと言っている。僕は小切手帳がないので現金になるがどうすればいいか判らない。

昼食後、銀行へ行く。ATMでお金を出したりすると記帳の仕方を教えてもらう。ただ銀行の機械に通すだけだった。給料が振り込まれていた。少し感激。そのあと小切手が作れるように手続きしようとするが、パスポートがビザ申請で手元になく、身分証明ができないため後日にする。PowerVantageというのをすすめられる。常に2万香港ドルは入れておかないといけないらしく、年300ドルの手数料も必要。いろいろな特典を説明してくれるがピンと来ない。要検討。


管理費の請求書です。REMINDERとなっているのは宛名が自分宛でなかったので無視していたため、2度目の請求書です
電話代はIDDの窓口が近くにあるらしいのでそこで払い込めばいいと言う。何となく感じるのは小切手帳を持たないと非常に不便だと言うこと。
電話をかけまくったので請求が恐ろしかったが1763HKDと思ったより安かった。それでも2万5000円は痛い。

初めてATMでお金を引き出す。香港のATMは年中無休、24時間営業で手数料無しと非常に使いやすい。管理費は会社の人に小切手を書いてもらって管理人にわたす。
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2006-07-19 コメント(0)

【7】  1996年8月26日(月)  疲れた深圳の休日

香港に来る前の会社にいた頃は年に1ヶ月足らずの期間、中国工場(東莞の田舎)に出張していたので深圳は通過するだけでしたが、これからはじっくり付き合っていくことになります。

香港に来て初めてプライベートで深圳入り。
イミグレーションは今よりはるかに時間がかかります。今は香港人のイミグレ通過は一瞬と思えるほど早いですが、以前は何かのイベントの日など数時間かかることも珍しくなく、そのとばっちりを外人である私たちが受けていたのです。

2001年10月の国慶節。2時間待ち状態


この頃はイミグレも狭くて少し人が入ればいっぱい。
私が待った最高は...
1995年6月に出張した時、香港側でKCRの改札制限を受け切符を買うのに1時間以上かかる状態で、中国に抜けるのに半日かかりました。
三連休最終日。12時半、香港側イミグレ通過、至極順調。中国側へ入ると健康申告用紙が変更されていて、入国カードと健康申告票が一緒になってコピー式になっていた。
イミグレへ行くと...今まで見たことないような行列。窓口ははるか向こうで見えない。うんざり。
イミグレを通過して深圳入りできたのは1時間半後の2時。はあ。
駐車場の近くでCD、VCDを買う。CDは15元、VCDは2枚組25元。2年前、VCDは1枚55元もしていたのに。

遅い昼食のため、粤海酒店にある日本料理屋へ。でも..イミグレで手間取ったおかげで開店時間を過ぎていた。

外に出るといきなり香港人らしい大柄の男性が広東語で道を聞いてきた。広東語がわかるはずがなく乏しい北京語の知識から「不明白(判らない)」というと、相手はポカーとしたまま。僕が中国人に見えているのか香港人に見えているのか....

街を歩き回る。それにしても昔はお金をねだる子供が良くいたのに全く見かけないし、以前は服装で香港人と中国人の区別ができたのに、今は見分けるのが困難だ。中国も急速に変わっている。

また広東語で話しかけられてきた。もうええやろ。彼はきっちりした身なりでビニール袋を取り出した。金(きん)が入っているようだ。金の売買?「不用」と言って立ち去る。

人が多かったので、早い目に香港に戻ることに。おかげでイミグレは比較的順調にすんだ。
KCRから地下鉄に乗り換え。待っていると、また広東語で..おばあさんだった。つっけんどんにはできないので判ろうと聞いてみるがやっぱり判らない。ここでも「不明白」と北京語で。
でもどうして今日はこんなに...自分の身なりを見てみると..中国で買った20元のTシャツにカラージーンズ、サンダル履き..しょうがないのかなあ
今のオクトパスに替わって当時香港で使用されていた70ドルと100ドルのプリペイドカード(あと50ドルもあったと思います)と羅湖へのチケット、それに片道切符。磁気カードでそれぞれ回収後再利用されます。100ドルのプリペイドカードは駅の自動販売機でキャッシュカードで買うことができました。



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2006-07-25 コメント(0)

【8】  1996年8月30日(金)  新しい銀行口座開設と買い物

香港に来て1ヶ月、香港では当時いろいろな支払いに小切手を使うことが多く小切手帳を持っていないと不便だと感じました。この前に開いた口座は小切手帳がありませんので新しい口座を作ることにしました。

当時携帯電話はまだ高価で持っている人は多くはなかったです。ひところのあの大きな携帯電話とは違って安くはなってきましたが...
1996年8月30日の日記から。
保留にしていたHongkong Bank、今のHSBCのPower Vantage口座、保証人が必要なようだったので会社の香港人秘書(私の秘書ではありません)に頼んで一緒に銀行に来てもらう。
他にいいのがあるかよくわからないので、 Power Vantageに決め、給料の振込先をこちらに変更。
それに毎月25日に日本へ日本円に換えて送金する手続きをする。
必要なことを言うだけで書類は銀行員が完成させてくれる。あとはサインをするだけ。口座の使用方法などを書いた小冊子、念のため、英語と中国語のをもらうがちんぷんかんぷん。どうにかしなければ。
ともかくも初めて小切手帳を手に入れた。10枚綴りで自分の名前は入っていないが次から名前が印刷される。ちょっとうれしい。

帰りは早めに退社し、同僚(先輩)が携帯電話を買うというので付き合う。
デパートのコーナーでは女性が一人。彼が「Can you speak English?」と言うと彼女「Sorry」と返事。
彼はがっかり、でも英語で話し続けた。彼女も判らないと言いながらも根気よく聞いて筆談で説明をする。僕よりはるかに英語がわかっている。なるほど、香港ではこの程度は英語がだめな部類か...
いつの間にかギャラリーができ、一人の若者が横に付いた。英語がわかるので通訳してあげる、と言うことのようだ。若者を通訳代わりに話を進める。
彼は5000ドルで電話とケースを買った。若者は去っていった。
開設したPower Vantageは総合口座。自動の電話サービスがあり電話で残高照会、振り込んだり、為替情報を聞いたり、小切手帳の請求など、現金を扱う以外は何でも電話でできる感じです。これから使い方を特訓。

何しろ電話といっても広東語か英語だけの自動音声なのでまず言い方になれないと。バランスと言われても残高のこととは気が付かないですし...

ATMでも同じようなことができるので電話とATMの両方を1時間以上かけずり回ってやっと振り込み方法を習得。家賃の支払い用に使います。あとは日本円で貯金したものをレートのいい時に電話で両替、という方法も。

(初めての小切手帳)


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2006-07-26 コメント(0)

【9】  1996年9月9日(月)  Phone Banking

会社には、香港人、日本人、韓国人、アメリカ人、日系アメリカ人の社員がいてとかなり変化に富んでいました。

さて、この前開設した銀行口座「PowerVantage」の電話バンキング。電話をかけると言語の選択から始まり、口座番号、暗証番号を入力、それから大メニューがあって番号を選択、さらに詳細なメニューに進んでいきます。暗証番号は銀行から郵送されてきてこれをすぐ自分で変更します。(写真:送られてきた暗証番号。当然のことながら口座番号など他の情報は書かれていません。写真をクリックすると大きくなります)

今はインターネット・バンキングが主流なので、英語がわからなければ辞書を引きながらやっていけてわかりやすいですが、電話の場合、「専門英語」も多いようで、ただでさえ英語には泣かされているのに最初からはわかりませんので、何回も始めから電話をかけ直して耳の訓練をしていきます。銀行でもPhone Bankingのメニューカードをもらっているのですが、実際と少し違いがあるのです。たぶん変更されているのでしょう。

ともあれ、これになれておけばあとで楽ができるだろう、という思いと自分の興味で続けていくことになります。それに日本からでも電話で操作できるし。


10時から会議。思っていたとおり英語で進行。英語もさることながら社内用語もわからない。会議終了後、内容を教えてもらう。

帰宅後、はんだごてを買う。ステレオがおかしいので修理するつもり。買った店では英語と北京語のチャンポンで話すので「Are you Japanese?」と言われる。ここに住んでいるのかと聞いてくる。こちらは大阪のようにいろいろ気安いのがいい。

電話でPower Vantage の練習をやってみる。
なかなか難しい。何回目かのトライでやっと円の相場を聞き出すことができた。続いてインフォメーションの言語の変更。これは一発でうまくいった。中国語に買えてみる。やはりまだ英語の方がわかりやすい。と言っても理解できないのは同じ。PIN NO.の変更もこれでできるはずだ。これは実演しないでおくつもりだったが変更した。しかし後の項目はわからない。また後日。
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2006-08-01 コメント(2)

【10】  1996年9月10日 (火)  英語の初レッスン

今日は初めての英語のレッスンがある。何も勉強していない。
教室は13号室だが、まだ前の授業を行っているので図書室を見学する。蔵書の他にビデオテープやCDなども置いてあるがあまり興味がわかない。必要に迫られて英語を勉強するためだろうか。英語はどこでも幅をきかせているのを痛感しているから。
いつの日か再びアジアの時代が来て少し英語の習慣を残しながら英語ではないアジア共通語のようなものができるのだろうか。もしできるのなら中国語は可能性が強いかも知れない。人口も経済も他のアジア地域を圧倒しているし。

 
日程表。11月初旬までが1タームです。
これが終わると先生が判断して昇級かどうか決定します
授業は4つのテーブルに5-6人ずつ座って行われた。まず先生が説明、後、テーブル単位の人々がお互いに会話を交わす。単語は簡単なのだが言葉がすらすらと口に出ない。何か、こんなことで上達するのだろうかと思う。とにかく2ヶ月間(1ターム)続けてみよう。国籍がいろいろかと楽しみにしていたが、香港人が多いようで多少がっかり。隣のAndyは東南アジア系の顔と思って聞いてみると香港人だった。何か家具のセールスマンをしているらしい。31歳。若く見える。やる気満々だ。僕より単語量は少ないがすらすらと言葉になるようだ。
今日の授業をふまえて勉強の方針を。

日本や東アジアは太古から中国文化圏に入っていて、多かれ少なかれそれによって感覚、価値観に影響を受けています。

ちょっと気になる1つに数字があります。一般的に3桁区切り。読みやすくコンマをつけるはずなのに日本も中国も4桁区切りの言語ですので、3桁で区切ってもやっぱり単位がわかりにくいのです。かといって4桁区切りにするとお金に絡んだときなど、誤解を招いて問題が大きくなる可能性があるので度胸がいります。

mm-m-km、mg-g-kgなどと単位系も3桁区切りになりますし。
1000kgは本来なら1Mgになるはずですが、ヤード・ポンド法の1トンが1016kgで1Mgに近いために1Mgを1トンと呼ぶのだそうでちょっと規則からはずれています。アメリカでの米トンとイギリスのトンでは重さが違うのでさらにややこしいです。

8cmCDもアメリカでは3インチ(7.6cm)CDといいますがこれと似た発想ですね。ちなみにCDはSONYとPHILIPSで規格が定められて単位はmmが使われています。

小学校の時、3桁と4桁区切りの方法があると先生から教わり、私は4桁区切りを使ってましたが世の中は3桁区切り、次第に受け入れるようになりました。
でも今でもこちらでは4桁区切りを使用するのがいいと思っているのです。

著作権にしてもアジア系と欧米系の価値観が大きく違っているように見えますし、いつかアジアがまとまってアジア独特の決まりができていけばよいと思っています。


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2006-08-02 コメント(0)

【11】  1996年9月11日(水)  小切手作り

台風 - シグナル8
実は9月9日深夜(正確には10日)に目が覚めた時、台風が来ているらしく大風が吹いていました。
私の部屋はマンションの32階、だいじょうぶかと思っていると何となく揺れている感じがします。
気のせいかと思っていたら、天井からぶら下がっているひもがゆらゆら揺れて...感じだけではなく、実際揺れていたのです。少し怖くなりましたが台風でマンションが倒れたというのは聞いたことがないし、揺れなかったらよけい心配かも知れないと自分に言い聞かせて開き直っていました。

香港では台風とか大雨とかが来ると程度を表す数字がテレビ画面に表示されます。1から10まであってこの数字が8以上になると「シグナル・エイト」と呼び学校や会社など休みになります。数字が下がれば登校、出勤しなければなりませんが、便宜上、昼までに解除されなければその日は休みということのようです。実際上1,2,3と8,10の数字は見たことがありますが他の数字は見たことがありません..


今日は小切手作りに挑戦。まず、普通預金口座から小切手が引き落とされる当座預金口座にお金を移さなければなりません。この振り込み(Transfer)を電話ですることに挑戦です。説明書は英語と中国語...

現在のインターネット振り込み画面
電話を使ってPower Vantageの口座から当座への銀行振り込みの方法を会社で香港人に教わる。
帰宅後、電話の自動メニューでPower Vantageの振り込みをやってみる。失敗した。確認すると小切手の当座預金には0と言うアナウンス。別の口座に振り込まれたようだ。外のATMで確認に行くが操作がわからず、ひとまずマンションに戻って説明書に挑戦。電話で確認しながら再びATMへ。
今度はわかった。振り込む口座が預金の方に登録されていた。電話振り込みを行なった時、このせいでおかしくなったのかも知れない。再び当座預金に振り込みを試す。うまくいったようだ。当座預金残高を確認するとうまくいっている。家に戻って電話で残高照会をしてみる。うまく入っていてほっとする。
これで小切手が作れる。今日、会社で小切手の書き方を教えてもらった。管理費の小切手を作成する。N座の管理人が今日いないので明日わたすことにする。
今日は少し成果があった。英語の予習もしておかないと。とにかく銀行も英語も疲れる。

家族からの手紙が2日で香港に届いた。「9月9日12時-18時」の消印のものが今日11日、マンションに帰ったら届いていた。信じられない。こちらから書いた手紙は1週間ぐらいかかって日本に届いたらしい。
本来なら電話だけでATMへ行く必要はないのですが、練習と言うことで電話とATM双方で確認したため、自分の部屋と外のATMを何回も往復したのです。以後は電話だけで処理。

小切手に金額を書き込む方法は英語で綴る方法と漢字で大字を使う方法があります。始めは教えてもらったとおりに英語で綴っていたのですが大字の方が書きやすいので大字で書くようになりました。でも香港人は英語で書く人が多いみたいで大字を使っていると「すごい!」と言ってました。

1234香港ドルの場合、英語だと
one thousand two hundred thirty four only
と最後にonlyをつけます。

大字では
壹仟貳佰叁拾肆元正
と日本では最後の「也」のところに「正」をつけます。

壹貳叁肆伍陸柒捌玖拾佰仟と日本とほぼ同じですが7が違っています。日本では「漆」と書きます。
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2006-08-08 コメント(0)

【12】  1996年9月14日 (土)  日本製

今日も少しPower Vantageで遊んだ。
今日はずっと雨が降りっぱなし。小雨程度ならたまにはいいが。傘を買う。30香港ドル。けっこう安い。露天でなら20ドルで売っていたが品質が気になって普通の店で買った。露天のものは「ジャンプ傘」と日本語で書かれていたが袋に書いてあるだけで実にインチキくさい。3段の折りたたみ傘でジャンプ傘というのはおかしい。

それにしても香港は家庭用品、オーディオ、何でも日本製が多い。しかしこちらのものを買うと確かに日本製を買っておく方が安心できることはよくわかる。品質がまるで違う。だから香港製(らしいもの、中国製、その他製かも知れない)のように見えても、訳のわからないカタカナやひらかなの入っている物が多い。日本製みたいだと売れるから?
でもこれだけの製品を作っている日本が、日本人となるとあまり好感度がないような・・・

放映権を獲得して1999年に放映された「GTO」

日本製品がよいのか「もどき」の製品も多く見かけます。
「もどき」のまかり通る分野と「もどき」が極めて少ない分野があるので慣れてくるとポイントが絞れてきます。


香港の100均ショップみたいな店で。『洋服ダシス用』『防虫劑』『安心御用ください』など日本人が見ればすぐ...



コンピュータ街で。デジカメ用リチウム電池。文章は違和感ないですが日本語の字体がヘン。
ただし問題なく使えてます。100香港ドル(1500円)

香港で売られている物を見るとほんとうに日本製の影響力はすごいと思います。先人達が苦労をして品質の日本製というのを浸透させてきた結果だと思います。
香港でもやっぱり一目置かれているなというのは感じることができます。いろいろだまされたとかいう話は別にして、この点、いい思いを感じている人も多いのではないでしょうか。

「アメリカ系の企業で働いていた頃、英語が下手だったために香港人に軽蔑されるのを感じていた」と話してくれた日本人もいました。その人、この頃は香港人にも英語がすごいと言われるようになってました。

辛かった出来事、2000年8月。
友人の香港人に家庭パーティに誘われて行ったことがあります。集まった十数人の内、日本人は僕だけでした。
子供がいたので数少ない広東語で話しかけたりしたのですが、なかなかなついてくれません。そんなときある香港人が教えてくれました。「この子の住んでるところは日本人が多く、彼はいつも日本人の子供にいじめられている」と。

親が子供の前で香港人を軽蔑するようなことを言っているのだろうと想像できるだけに、腹立たしく、辛かったのです。
一生懸命に彼に話しかけたりしている内に、最後の方になると少しうち解けることができたように思えたのがなぐさめでした。

日本人が、中国人、香港人のことをあからさまに軽蔑するような態度をとる光景を何度か見ています。こういう人たちの態度も中国人、香港人に悪い日本人観を植え付けているのかも知れません。

せっかく先人の築き上げてきた信用を台無しにしないためにも、こういう点、まじめに生活したいものです。
「日本製」の話題からちょっと脱線しました・・
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2006-08-09 コメント(0)

【13】  1996年9月18日 (水)  請求書の自動振込機


ガスの請求書。バーコードのあるものはこの自動支払機が使えます
帰り道、ガスの自動振込機のある場所をK氏に教えてもらい、いつもの店で食事のあと寄ってみる。カードの入れ方が普通とは逆。
英語か中国語かを選ぶようになっている。考えた上、英語を選ぶ。だいたいやり方は12日にKKさんから聞いているのでどっちみち英語を読むことはないだろう..
まず暗証番号、次にカードには3つの口座が入っているのでどれかを選ぶ。この前の電話振り込み練習で、操作を間違えて普通口座に600ドル振り込んでいるのでこちらの口座を使う。
次に請求書のバーコードを機械に読み取らせる。成功。これでガス代の支払いが終わった。領収書を受けとる。

この自動支払機には電気のマークもあったので今日来ていた電気代の請求書を試してみる。成功。



これで数種類の支払い方法を覚えた。あとは電話での支払い方法が残っている。今のところ水道が面倒だ。小切手を郵送しなければならない。

外国語では英語がかなりいろいろなアドバイスが受けられ便利にできている。日本語でもだいじょうぶなのは尖沙咀の日本人のよく行くところに限られている。英国の侵略地だから今はしょうがないが中国返還後はどうなるのかな。
香港ではお金の支払い方法がいろいろあります。その中から自分が楽だと思う方法を選びます。請求書にはその方法が書かれています。当時の方法は

1. 自動転帳 (Auto pay) - 自動振り込み
2. 銀行自動櫃員機 (ATM Payment) ATMでの支払い
3. 繳費霊 (PPS) - 電話による支払い
4. 郵寄支票 (by cheque) - 小切手送付
ほかに現在はインターネットによる支払いもできます。

またガス代ですが、これは少し変わっています。ガスメーターは外になくて部屋の中にしかありませんので、住人がいなければガス屋さんはメーターを読むことができません。そこで住人は自己申告をします。メーターを読んで電話で報告します。この電話も自動応答になっていてプッシュホンの番号ボタンで入力します。
これは24時間受けつけているのでいつでも気の向いた時に連絡すればいいのです。ガス会社はこれに基づいて期間の使用量を推測して請求書を送ってきます。したがって、連絡無しで放置しておけば、実メーターの数値と請求書の数値が大きくずれてしまうので注意が必要。

請求書の裏に書かれている支払い方法


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2006-08-15 コメント(0)

【14】  1996年9月25日 (水)  日本へ振り込み 新規電話申請


入社当初少しもめていた住宅ですが、日本からやって来た日本人Z氏が退職して日本に帰るというのでそのあとに入ることになりました。今度はなかなか立派なマンションです。家賃も相応にかかります。香港の家賃は高いので有名ですが新しいマンションは680スケアフィート(63㎡、香港ではイギリスの単位であるスケア・フィートを使います)で1万2000ドルでした。これでも日本語で書かれたパンフレットでは最低の家賃です。1996年10月から住むことになります。

来港後に住んでいるマンションは電話を家主が持っていましたが、今度は自分名義で手配しなければなりません。この日はその申し込み。
口座を開設した時に毎月25日に自動的に日本へ振り込むよう手続きをしたが、今日は日本への初の振り込みの日になる。昼飯後、Power Vantageの電話サービスで残金を確認する。○○○○○ドル減っている。送金されたようだ。

退社後家に電話をかけて確認する。△△万円程度が入っていたという。ただ手数料として1000円ほどとられたらしい。
こちらから送金するのに手数料を150ドルほど取られているはずだ。まだ手数料が必要なのか?! 貯金をするのに手数料を取られるようなものだ。ちょっと気分が重い。

PM6時に香港テレコムへ新しい家の電話の申し込みに行く。会社の総務の女性も一緒に行ってくれる。
小切手で支払うこととなる。デポジットは不要だということだ。国際電話は007を選ぶ。彼女が手配してくれるらしい。僕には言葉のハンディがあるし、仕方ないか。自分で手続きすることも覚えたいが...新しい電話番号は2775 2443にした。3つあったが覚えやすいように選んだ。
また今日Zさんから住宅の鍵を1set受けとった。もうじきなんだなあと思う。
日本へ振り込んだあと、銀行から送付案内が送られてきました。

香港では電話代は2ヶ月ごとの請求で基本料(1ヶ月1500円ぐらい)を払えば香港内は電話のかけ放題。国際電話だけは6秒単位での電話代を別途支払います。

国際電話は当時IP電話が導入され、新しいIP電話サービスの会社が乱立しはじめて、日ごとに国際電話代が急激に安くなっていきました。それまでは日本の国際電話代と同じ程度でしたが、最終的に日本で市外電話をかけるよりも香港から日本へかける方が安くなりました。

このIP電話サービスは基本料不要で申し込みが必要ですが、申込書をFAXで送るだけでもOKとわかり、申込書を集めて各会社に申請しまくりました。

当時の国際電話料金表。今は日本まで1ドル以下です


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2006-08-16 コメント(0)
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