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奈良帰省日記2008 (12) 二週間ぶりの深圳へ | 2008.5.11 |


機内から日本




二週間ぶりの深圳へ

ところで今回ふるさとに返ったら、ふるさとにもミニバスができていました。
いつもあまり乗客のいない路線で走っていました。座席数は10人あまりと香港のミニバスよりも少ない座席数。ただし車両は香港のよりも大きく立ち席もありますので収容人員は香港の16人よりも多くなります。
何度か乗ってみてけっこうお気に入り、落ち着きます。

写真がそのミニバスですが、「三井住友銀行」の看板で思い出しました。
10年近く前になると思います。銀行再編で銀行の名前がめまぐるしく変化していた頃、とある帰省で日本の住宅ローン返済の件で銀行を訪ね明細を見せて話しをしていたところ、ちょっと対応がおかしい。そして・・銀行員
「あの・・・この返済はうちの銀行ではないのですが・・・」
そうなのです。ここには間口の狭い二つの銀行が同じビル内で隣どおしなのです。両銀行とも名前が変わっていて、一年一度しか帰ってこない私は店を間違えてしまったのです。
家に帰って家族で大笑いしました。

ま、いろいろな出来事を思い出しながら深圳に向け出発です。
気温と天気が大きく変化した帰省でしたが、これまでで一番楽しく過ごせました。小学校の同級生も晩餐会してくれましたし・・

次の帰省ではもっと楽しめるよう深圳で十分予習をしとかないと・・
では深圳へ

奈良帰省日記2008 おわり



関空のエア・インディア機


機内


香港MTR(KCR)で上水から落馬洲へ

奈良帰省日記 2008 (11) 葛城山から二上山へ 《2》 | 2008.5.6 |


大阪平野を 遠く大阪湾


二上山(にじょうざん)
奈良県と大阪府の府県境、金剛生駒紀泉国定公園金剛山地の北端にあり、雄岳(517m)と雌岳(474m)の二つの峰を持つ。
縄文時代には石器石材のサヌカイトの産出地で、飛鳥時代には信仰対象。
雄岳には天武天皇の第三子の悲劇のヒーロー大津皇子の墓があります。


葛城山から二上山へ (2) 2008.5.6


葛城山をあとにして二上山へ。
葛城山の登山道と比べると整備度合いは低いが趣はある。結構長い道のりだがなだらかな道が続く。
道標は「平石峠」と「岩橋山」がランダムに現れる。平石峠は葛城山から6kmあまり、でも平石峠、岩橋山、二上山のどれが一番遠いのか全くわからない。手探りで二上山へ向かう。道標にも「竹内峠」の名前が増えた。それにダイヤモンドトレールって何だろう。


岩橋山
道は厳しい上り坂となった。距離は短かったが深圳の梧桐山を思い出させた。登り切るとグループが休憩していた。挨拶をすると「この坂は厳しかったでしょう」と。
そしてここが岩崎山の頂上となるようだ。「岩橋山658.8m」の掛札。峠のような頂上だった。彼らは休息を終えて先を進み出した。僕も写真を写して休憩なしで先へ進む。平坦な道や少しの坂なら歩いているうちに疲れがとれる。


奇遇
そして平石峠付近と思われる場所で休憩する二人連れ、その一人に声をかけられる。
「あんた、松下電器にいなかった?」
「・・大学の時にアルバイトしたぐらいで・・」
「そうそう、あんたの名前は忘れたけど顔は覚えてる。僕はY・・」
名前に覚えがあった。話をしている間に少しずつわかってきた。
それにしてもすごい。○十年前に一時期いたアルバイトのことを覚えているなんて奇跡に近いと思えた。
彼は数年前会社を早期退職をして今はISO9000の仕事をしているとか。僕は深圳に住んでいることを告げる。
彼らは竹内街道を磐城駅まで行くとのことで話をしながら3人で歩いていく。

竹内街道へ。葛城山を出てから2時間半かかっている。午後4時近くになっている。彼らと別れを告げる。
ちょうど食堂があったのでまず腹ごしらえ。食べながら考える。時間的に遅いけど二上山を登ることに決定。


登山口目指して歩き始める。あった。時刻は4時半。
「鹿谷寺跡へ」と書かれた道がすてきだったのでこちらを行く。寺跡を見て展望台へ。大阪側が見える。夕日がきれい。ただ、雌岳への道が見つからない。
駐車場と書かれたところへ行ってみる。地元民らしき人に聞く。
「ここから雌岳(二上山の)に行けまっか?」
「行けまっせ。その階段を上ったら右にとって行ったらええ。左に行ったらあきまへんで、屯鶴峯(どんづるぼう)に行ってまうから」
「雄岳は・・」
「雌岳に行ったらすぐ前に見えるがな。せやけど太子町のほうはええけど、當麻町に入ったらお金(入場料)取られるで」
「あ、そう。おおきに」
というわけでめどが立った。
ここは大阪府太子町だったのか。そう言えばさっきの寺跡も大阪府と書かれていた。
(金剛生駒紀泉国定公園 面積1万5565ha、大阪府1万0685ha、奈良県4880ha)


登り始める。道はけっこうきつい。今までの道とは違って岩がごつごつしている。20分近く登ると雌岳らしきところへ。「雌岳頂上→」の道標があった。右手に頂上がそこに見える。疲れているのと時間的にも遅いので今回、頂上はパス。雄岳を目指す。
さらに20分ほど歩くと雄岳頂上に出た。大津皇子の墓もあった。

さて奈良側に下山する。けっこう素肌の山道が多くなった。ひたすら歩いて二上神社へ到着。6時。明るさのぎりぎりか、やれやれだ。

山を歩きながら金剛山から葛城山、そして二上山へ巡る1日コースを考えていたがちょっと無理なようだ。今日のコースで3万歩をはるかに越えている。これに金剛山を加えたらおそらく5万歩近くなるだろう。僕の足で1日ではまず無理。
帰って地図を見ると葛城山から二上山まで直線距離で8km近くあった。どおりで・・

近鉄南大阪線二上神社口駅へ。あとは郡山へ帰るだけ。切符480円。
よく歩いた。これまでの最高の3万7200歩。単純計算で19キロ近く歩いたことになる。
でも山歩きの楽しさを知ったおかげで大和路のいっそうの楽しみ方を知った気がする。

ダイヤモンドトレール
通称ダイトレと呼ばれている阪奈和(大阪・奈良・和歌山)にまたがる全長45kmの長距離自然歩道でした。昭和43年に大阪府と奈良県が整備したとのこと。中国・香港式に漢字にすれば「金剛径」と言うところでしょうか。一度踏破してみたいものです。
→  ダイヤモンドトレール 


葛城山から・・


二上山へ向かって・・・












岩橋山頂上への急坂


岩橋山を下る


竹内街道




二上山を登る




雌岳


雄岳頂上


大津皇子の墓


二上山を下る




二上神社


二上山


近鉄二上神社口駅に到着


近鉄電車 もう6時半


車窓の二上山



奈良帰省日記 2008 (10) 葛城山から二上山へ 《1》 | 2008.5.6 |


葛城山



葛城山(かつらぎさん)
奈良県と大阪府の府県境の金剛生駒紀泉国定公園内にあり、南北に連なる金剛山地の山。北の二上山、南の金剛山とともに連峰をなしている。960m。
山の形状がなだらかであるため、この付近を葛城高原と呼ぶこともある。
ほぼ深圳の最高峰梧桐山944mと同じ。

→  かつらぎを歩こう 


葛城山から二上山へ (1) 2008.5.6

朝8時過ぎ家を出る。今日は初めての葛城山登山へ。
近鉄で御所(ごせ)まで。橿原神宮駅で南大阪線に、尺度駅で御所線に乗り換える。乗り継ぎはスムース。電車内は登山の格好をした人が多かった。


御所駅ではみんなバスを待っている。事前に地図を見ていたところでは駅から登山口までは2km程度だと思ったので駅前の地図を確認して歩き出した。
15分ほど歩いたところで「ロープウエイ2.4km」の案内板、登山口まであと2.4km、意外に遠かった。だからみんなバスを待っていたのか・・
ロープウエイへ行くバスが追い越していった。


ロープウェイ登山口の駐車場、眼下に大和三山、手前の低い山々
少しずつ上り勾配になり御所駅を出て45分でロープウェイのある登山口へ。かなり高くへ登ったようだ。大和三山が眼下に見える。ということはすでに300m 近い標高になるのかも知れない。登山口の海抜はいったいどれくらいあるのだろう。葛城山頂上は960mだが登山口からの標高差はかなり低いかも知れない。 (ネットで調べると登山口・駐車場から山頂までの標高差は669m)
登山者はここまで車かバスで来てここから登るようだ。
深圳の梧桐山は海沿いから盛り上がっているのでほぼ900mの標高差がある。



登山口からはロープウエイが頂上まで運んでくれる。でももちろん歩いて頂上へ。登山口すぐのところに個人のものだろうが見事な藤棚があった。きれいな藤 色。
登山道へ入る。なだらかな勾配で歩きやすい。深圳と違うのはやはり高い杉林。深圳の若い木々ではなく壮大な規模の林だ。
所々に簡単な橋が架けられているが木がすり減ってきているので頼りないところもありちょっと怖い。用心しながら進む。まあでも、橋や階段が木造なのがい い。メンテをしっかりしないと怖いけどやさしい感じがする。木の階段の勾配も緩やかで深圳のきつい勾配の石段に慣れている僕にとっては実に軽快だ。


杉木立の道は全体の色が茶色。異様な感じもするがこれも新鮮でいい。
これといった難所もなく、登山口から1時間10分でロープウエイの山上駅近くに到着、頂上を目指す。それにしても梧桐山のことを思うとあまりにあっさりと 頂上へ着きそうだ。何が違うのだろう・・標高差の違いもあるがそれだけではまだ納得がいかないような気分。


山頂を目指す道は薄緑の木々に花が咲き高原の雰囲気を醸し出す。そして視界が開けて眼下に大和平野(奈良盆地)が広がる。思わず顔がほころぶ。
食堂があった。もう12時近い、食堂前の売店でパックの焼きそばを500円で買い昼食として食べる。


食後、頂上へ。高原になっている。花と山が調和してきれい。ツツジ園を見て回る。
と、金剛山に登ってきたという人と会う。1週間一度は金剛山に登っているという。
今日は朝8時に登山を開始して金剛山に登頂したあと葛城山にやってきたらしい。
「あそこにテレビ塔が見えるやろ、その右の高いところが金剛山」
金剛山は1125m、深圳でネットを調べていて葛城山と共に登りたいと思っていた山だ。実物を目の前にして感激。美しい。
五条駅か御所駅から登山口へ行くバスがあるらしい。この次は必ず登ってみよう。

あと全長2kmあまりの自然研究路というのがあったので行ってみようかとそちらに向かう。が、途中の道標で二上山へ行けるらしいことがわかりそちらに行くことに変更。歩いていくと二上山へ行けるような道があった。地元らしい二人連れがいたので聞いてみる。
「この道は二上山へ行けますか」
「行けるけど遠いで・・(時計を見て)まあ時間的に大丈夫かな」
まだ1時過ぎ、行けることさえ聞けばそれで十分、元気よく歩き出す。これまでの歩数は1万2000歩程度、まだまだ余裕はある。
つづく




御所駅(ごせえき)を出て登山口をめざす




頂上へのロープウェイ




マニュアル撮影を試してみました。シャッタースピードの違い・・
















頂上 金剛山が見えます




金剛山が









つづく

奈良帰省日記 2008 (9) あじさい寺・矢田寺(金剛山寺)から矢田山へ登る | 2008.5.4 |


矢田寺


矢田寺
大和郡山市の西部、矢田山の中腹、県立矢田自然公園内にあり正式には金剛山寺と言い日本最古の延命地蔵菩薩を安置しています。

今から約1300年前、大海人皇子(おおあまのみこ)が壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登り、天武天皇として即位したあと、白鳳4年、七堂伽藍48カ所 坊を造営したことに始まります。
以後、満米上人により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心地として栄えてきました。
境内には1万株のあじさいが植えられてあじさい寺とも呼ばれます。

→  矢田寺 


あじさい寺・矢田寺(金剛山寺)から矢田山を登る 2008.5.3


矢田山に登りたいなと思い昼過ぎ、歩いて矢田寺へ。
横山口を過ぎるとあっけなく矢田寺前のバス停に到着。こんな近かったかな。
遠回りをしたのに1時間もかかっていない。中学校の時はかなり時間がかかったと思うのに。

参道を歩いていくと大きめのお地蔵さん、ほんとうにどこに行ってもお地蔵さんが多い。矢田寺なので特にかな。
山門へ。金剛山寺と石標で正式名が金剛山寺だと思い出す。
人がまばらに降りてくる。あじさいまではまだ日があるがそれでも観光客はいるようだ。
それにしてもきれい。昔のイメージが思い出せないほどきれいになっている。
山門をくぐって写真を取りながら10分ほど登って見なれた大門坊の前に。父や先祖が入っている千体地蔵の千仏堂。

境内はツツジがいっぱいで美しく整備されている。
鐘楼の前に大きなお地蔵さんが造られていた。水子地蔵。
隣に重要文化財「春日神社」とある。こんなんあったかな・・

本堂から登る道があった。「矢田寺へんろ道」と書かれている。高い杉の木立の間を抜けると御影道へ。もう上に行けないかと思ったら御影道の横に登る道があったので登る。
矢田山四国と書かれたお地蔵さんがいくつも出てくる。四国のお寺の名前が書かれている。
雰囲気がいい。木立がとぎれて山道を登る。さりげなく整備されているし、人が通ったような雰囲気もある。


どんどん進み登っていく。「がんばってください」と札。
視界が開けて大和平野が見渡せるようになった。若草山が見える、大仏殿も見えた。これまた感動。
見渡すとすでに頂上付近にいるもよう。
少し行くと頂上と思える高さになった。「同行二人」の札とともに頂上のお地蔵さん。


遍路は弘法大師が厄払いのために修業地や寺を巡って祈願したことに始まるといいます。そのために一人で巡っても弘法大師と一緒に巡るという意味で「同行二人」とするのです。



これで今日の目的は達成したので下山する。元来た道をたどって御影道へ。僕と交代のように二人組が登っていった。
案内板に気づく。「矢田寺 四国八十八カ所霊場めぐり」と書いてあった。あ、そういうことだったのか。
深圳のミニチャイナのようなものか。矢田山を巡って四国八十八カ所を巡った気分になるというような・・
そして僕が通ったのは一部で全体はもっとありそうな感じ。後日また登ってみることにしよう。

松尾寺といい矢田寺といい、どこもかしこも美しくなっていて嬉しい。なにより、これらのお寺が観光だけでなく生きているお寺だというのが一番うれしい。

帰り、民俗公園へ寄って写真を。ちょうどタンポポをとって遊んでいた子供の写真をとる。可愛い。

14200歩


そして8日に再び訪れ、矢田山四国を札所第一番から歩いてみました。とてもすてきなコースでした。
でも・・・
ネットで調べてみると少し離れたところに矢田山頂があり、展望台があって生駒山、金剛山などが見渡せるとのこと・・・
ショック。でも次回の帰省時の楽しみに。




矢田山中腹の矢田寺


矢田寺門前


矢田寺山門とお遍路さん










水子地蔵




お遍路さん


頂上付近から見た大和平野(奈良盆地)




帰り、民俗公園に寄ってみました


民俗公園でたんぽぽを集めていた子




矢田山四国


















奈良帰省日記 2008 (8) 世界遺産 南都・吉野山へ 《2》 | 2008.5.3 |


如意輪寺




世界遺産 南都・吉野山へ 2008.5.3

日本の山を歩くのはずいぶん久しぶりでしたがやっぱり深圳の山とは全く違いますね。これが「由緒ある歴史の山」と言うのでしょうか、時代を感じます。



写真の続きです

如意輪寺










如意輪寺


役行者(えんのぎょうじゃ)


遠く蔵王堂を








吉野水分(みくまり)神社












これで最後・・・・ 電池が切れた・・・



おわり

奈良帰省日記 2008 (7) 世界遺産 南都・吉野山へ 《1》 | 2008.5.3 |


葉桜吉野



吉野・大峯
役行者の開山以来、1300年の歴史を持つ修験道の聖地。
吉野は修験道の開祖である役行者ゆかりの地として、奈良・平安時代には金峯山寺に天皇や貴族が度々参詣、修験道の根本道場と呼ばれるようになりました。
建武の中興の舞台でもあります。

今、吉野は日本屈指の桜の名所。およそ3万本の桜が下千本・中千本・上千本・奥千本へと約1ヶ月をかけて咲き乱れます。
2004年「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録。

 紀伊山地の霊場と参詣道    奈良・吉野山の桜の風景 



世界遺産 南都・吉野山へ 2008.5.3

9時、家を出る。
近鉄で吉野まで切符を買う。700円。日本へ帰ると半端でなく交通費がかかる。特に近鉄は高い。
橿原神宮前で吉野線に乗り換え。
近鉄は合併を繰り返して大きくなったので事情がある。橿原線はレールの幅が新幹線と同じ標準軌で吉野線は近畿の私鉄ではめずらしくJRと同じ狭軌。まあ今ではJRも私鉄だが・・
吉野線に乗り換えた時にいっぱいいた乗客は二駅目の飛鳥駅で多くが下車、以後はよく空いてきた。桜の季節も終わったので吉野はやっぱり少ないのだろうか。

飛鳥駅の次は壷阪山駅。ハイキングコースの案内板に壺阪寺の文字が見える。懐かしい。時間があったら壺阪寺から高取城址のきれいな石垣を見に行ってもいい と思いつつ、11時過ぎ、近鉄吉野駅に着く。
おそらく吉野は2度目。以前のイメージはほとんど頭に残っていない。駅に置いてある地図を取り駅を出る。

駅前はきれい。駅前通りは案内図が並んでいる。吉野歴史ウォーク、近畿自然歩道・・・
ケーブルカーもあるが、のりば横の径を通って登る。葉桜の半透明の緑に囲まれながら少し行くと視界が開けて美しい山々が見えてくる。ほんとにどうしてこんなに美しく変わって来たのだろう。平城宮への道、民俗公園、松尾寺など、どこへ行っても美しくなっている。うれしい誤算。

15分も歩くと(登ると)ケーブルカーの吉野山駅。歩いてすぐなのにケーブルカーがあるのは何となく不思議な気分、これぐらい歩いた方がいいのでは・・と思う。

傍らに上へ登る小径を見つけ登ってみる。美しい山々と谷沿いの村が見えて楽しい。
黒門へ。金峯山寺の総門らしい。
居並ぶ食堂の適当な所に入り、山菜うどんというものを食べる。650円。見晴らしのよい食堂だった。
金峰山寺の仁王門をくぐり蔵王堂。南北朝の吉野町宮跡。あと、また土産物屋が並ぶ。

如意輪寺へ
自然道に入り歩いているとガシャッという鈍い音、何だろうと思っていると右手の林からおばちゃんが大きなタケノコを抱えて飛び出してきた。明らかに観光客がタケノコを盗んだという格好。待っていたもう一人のおばちゃん、「あんたは力があってええなあ」
今までの最高の気分が一気にそがれてしまった。二人は僕を見てにっこり微笑みかけた。顔の表情から照れくささからではない。
アホか、笑えるかっ!

気分を取り直して野道を如意輪寺を目指す。桜の終わったあとの葉桜ときれいな花が咲き乱れる小径を写真を取りながら行く。年配のグループやらカップルも。年配の一人ハイカーらしい人、挨拶を交わす。

如意輪寺の門前は高い木立がすごい。後醍醐天皇の御陵前は工事中。
吉野宮滝へ行こうと思った。道しるべは「水分(みくまり)神社・宮滝」、ここを行く。

水分神社を出ると近くにあった喫茶店へ。こぎれいに飾り付けられてあか抜けている。現地人の女性が経営しているようだ。
「ここもあそこも空き家」と指さす。この辺では土地を離れる人が多いのだそうな。
このあたりは海抜700m程度、冬は雪がすごくて毎年2月ぐらいに雪が最高になるとのこと。特に今年の冬は毎週雪下ろしをしていたと言う。

ここから宮滝まではかなり距離がありそうなことを言う。店の時計を見るともう4時、宮滝は難しいか・・・ 宮滝からバスが出ていて上市へ行けるらしい。
駅前でもらった地図で確認してみるとあと4km程度で宮滝へ行けそうだ。行ってみるかな・・

喫茶店を出て稚児松地蔵へ戻り、宮滝を目指す。
林の中の道を行く。ここでハプニング、デジカメの電池が切れた。時間をおいて1枚だけ撮影できたがそれ以上は無理。あきらめた。

あきらめるといい風景がたくさん出てくるような気になる。
宮滝に着くときれいな夕日が川に反射している。川では川遊びの子供たち。
吉野歴史資料館というのがある。閉館時刻だろうけど行ってみる。休日以外は見学に予約が必要と・・・
バスに乗って上市駅へ行き近鉄で帰宅。8時。

1万9300歩


閑話休題
吉野、どうやらここも世界遺産になるらしい。「紀伊山地の霊場と参詣道」に含まれているようだ。北へ行っても南に行っても世界遺産だらけ、そのおかげで美しくなっているのかも知れない。

この日、吉野の歴史が政治に振り回されて焼き討ち、建設を繰り返しその姿を変えて来たことをしっかり感じた。何となく吉野が哀れに見える。でも自然の山の景色はそのイメージを吹き飛ばしてくれる。



近鉄吉野駅


駅前


ケーブルカー横の登山道


黒門前通りのお店屋さん




黒門




金峯山寺


蔵王堂


吉野朝宮跡








陀羅尼助 役行者に始まると言われる和漢胃腸薬


山道に入ります








写真は次回にもつづきます


奈良帰省日記2008 (6) 免許更新期間前の更新と弥生時代の唐古・鍵遺跡 | 2008.5.1 |


唐古・鍵遺跡の復元やぐら


唐古・鍵遺跡
奈良盆地のほぼ中央、初瀬川と寺川に挟まれた沖積地に営まれた弥生時代の環壕集落の跡。
環壕遺跡としては近畿地方では最大、全国的にも佐賀の吉野ヶ里に次ぐ30ヘクタールの広さがあり、国の史跡に指定されています。

→  唐古・鍵遺跡 


免許更新期間前の更新と弥生時代の唐古・鍵遺跡 2008.5.1

朝、橿原市新ノ口にある奈良県免許センターへ。免許が今年の誕生日までの期限なので期間前更新をするため。でも何千円も使ってあまり必要といえない免許証 を保持しても意味がないかも知れない。ま、今年はとりあえず更新を。

まず窓口で問い合わせ。
「期限前更新をしたいのですが・・」
「ああ『期間前更新』!」
係員は言い方を訂正する口調で声を荒げて応える。
「・・・」
午前の受付は終わったらしい。午後は1時から1時半の受付だという。
「必要書類は何ですか?」
「なに!聞いてないの?!」
と持っていた書類を半ば机にたたきつけた。
え?僕が何か変なことを言ったの・・え?え?
市役所での年金保険の時の彼が頭をよぎる。
「反対側の『XXX』と書かれた窓口で案内書をもらってっ」
とのこと。

「XXX」の窓口へ。
期間前更新について聞くと不思議な顔をする。
「期間前更新ならこの正面の窓口ですよ」
と元の窓口を指さす。??? 一瞬頭がパニック。
「あそこで聞いたらこの窓口で案内書をもらうように言われたのですが・・・」
「ああ、それでは戻れと言われたら気分が悪いですね。ちょっと待ってください」
と愛想がいい。こちらに出てきて一緒についてきてくれて資料を集めたり段取りをして回ってくれた。
どうなってるの・・不思議。全くの無愛想と最上の愛想が同居している免許センター。
時間も1時から2時の間が受付時間らしい。最初の窓口での話はむちゃくちゃだった。

期間前更新の申請用紙に記入して現行の免許を提示するだけ、写真も不要だった。
そして2時、免許をめでたく更新。期間前更新なので有効期間が1年間短いのが不満・・




道路に埋め込まれた標識
講習が済んだあと歩いて弥生時代の唐古(からこ)・鍵遺跡へ行くことにした。
近鉄橿原線新ノ口駅へ向かい、途中の国道24号線を北へ。
途中から飛鳥時代の「山の辺探訪の道」を行ったりしながら歴史を巡る。大和棟の民家が少なくなったような気がする。
のんびり歩いているうち少し雨もぽつりぽつり。


2時間足らずで唐古遺跡の復元された櫓が見えてきた。この鍵遺跡に来るのは初めて。
櫓のほかに復元物はないが少し公園風にこぎれいにしてある。国指定の史跡のメンツか。
出土品は近くの唐古鍵考古学ミュージアムと言う所に展示されているようだが今日はもう閉館だろう。
(写真にある下ツ道とは藤原京と平城京をつなぐ古道です)

櫓が復元されているのは唐古池と言うため池の上。でもこのため池は江戸時代に造られたようで唐古の時代とは関係がない。
埋葬されていた人骨は渡来系弥生人の特徴が強いという。
僕が以前台湾にいた頃、台湾人から「日本人だと言われても中国人に見える」と言われたことがある。もしかして僕はこの渡来人の子孫か・・・ははは。

東方500mぐらいのところに櫓のようなものが見える。行ってみる。簡単な展望台だった。でも眺めはすばらしい。大和青垣、飛鳥、大和三山、二上山が見える。雨模様なのが恨めしい。春霞とともに景色がかすんでいる。撮影のためにもう一度来てみたい所だ。

再び歩いて生活風景を撮影しながら近鉄石見(いわみ)駅へ出た。近鉄で郡山へ。

19700歩





街角風景 お寺 神社










唐古鍵遺跡へ


入り口


復元やぐら ため池は江戸時代のもの




池畔の回遊歩道


やぐらから東へ


何かある・・・展望台でした


展望台から大和青垣 若草山、春日山など・・


遺跡の前の地蔵堂



帰り道の民家で・・



奈良帰省日記 2008 (5) 大和民俗公園と日本最古の厄よけ寺・松尾寺 | 2008.4.30 |


大和民俗公園 移築された民家




 大和民俗公園 

 松尾寺  は大和郡山市、松尾山山頂(海抜 315m)付近にあります。
718年天武天皇の皇子舎人親王が『日本書紀』編纂の完成と自身の42歳の厄除けを祈願して、法隆寺東院住持永業禅師と共に創建したと伝えられ、日本最古 の厄除け観音として有名なところです。


大和民俗公園と日本最古の厄よけ寺・松尾寺 2008.4.30


矢田寺へ行こうと歩き出す。いつもと違う道をぐるぐる大回り、お地蔵さんがあちこちに。
適当に歩いて帰省時の散歩の定番になった民俗公園へ。

博物館では台所の民具展をやっている。
入館すると入場者は平日の真昼と言うことだろうか、僕一人のもよう。館内展示を新しく買ったカメラでとりまくる。

館を出て民家写真を。
写真を撮りながら散歩しているうちに係員のおばちゃんが「もう4時やからこの先の門は閉じたからそこの門で外に出て」と。
あ、もうそんな時間か、矢田寺は無理かな。
矢田寺は今度にして松尾寺に向かうことにした。

泉原の町を通る。きれいな町並み、市中心部よりもまとまっている気がする。
道を右にとって松尾山へ登る道に。いつもながらの急坂、ひたすら登る。視野が開けて大和青垣(大和を取り囲む山々)がきれいに見える。
第2駐車場。見ると水が流れて登っていけそうな感じのところが・・また別の機会に探ってみよう、とりあえず今日はオーソドックスな道で上を目指す。

最後の急坂は50ccの原付バイクではパワー不足で登り切れないほどの坂。ゆっくり登っていく。すぐに松尾寺の山門に出た。
松尾寺は厄除けの名刹。
ここも子供の時に比べて美しくなっている。とてもうれしい。夕方の散歩にはちょっと贅沢な風景か・・
数多くの絵馬がかけられ、おみくじが結ばれていた。


帰り道、田んぼではレンゲの花が満開。レンゲは根に養分を蓄えるので米の肥料になるらしい。

1万8000歩




博物館の展示 漫才コンビ「笑い飯」のネタの人形


台所の民具


公園で








松尾寺への道 坂をどんどん登ります






松尾寺へ




三重塔









帰り道 気がつけばこどもの日ももうすぐ



奈良帰省日記 2008 (4) 薬師寺、唐招提寺、平城宮跡を歩く 《2》 | 2008.4.29 |


平城宮朱雀門


平城宮跡へ (2) 2008.4.29

平城宮跡に入る。家を出てから2時間半。距離としては5キロあまりだと思うのでかなり道草したようだ。
初めて復元朱雀門を間近に見る。意外に小さい。個人的にはどーん、と圧迫するような迫力が欲しいが・・・
少し復元されている平城京で一番広い道路、幅75mの朱雀大路を見てみる。
両側に当時の街路樹の柳が少し植えてある。これも意外と狭く感じた。どうしてだろう・・・75mならば広く感じるはずだろうに・

第一次大極殿復元作業現場へ。近鉄電車が平城宮跡を南北に分断する。
踏切を越えて現場へ。
復元工事一般公開施設と言うのがあるので入ってみる。ちょっとした展望台になっていて、映像と模型でも説明をしていた。
朱雀門復元時の記録映像もあった。古来の技法に乗っ取って建設されコンピュータシミュレーションを使って補強を加えたと・・ちょっと近代建築士のやりすぎ のような気も・・
1300年を耐えた建築を造った建築士に実績のない建築士が横やりを入れているような気になる。

3本目の記録映像を見ているうちに管理人「閉館時刻です」
外へ出て平城宮跡資料館へ。もちろんすでに閉館。子供が館前でバスケットボールをやっている。

近鉄西大寺駅へ。近鉄で帰宅。

1万9900歩



平城宮跡に入る




ちょっとだけ再現された朱雀門前の朱雀大路 あまり広いとは感じられなくて残念






平城宮跡を南北に分断する近鉄電車


2010年に開催される遷都1300年行事のために大極殿を復元工事中


復元工事一般公開施設から見た朱雀門


若草山を


平城宮跡資料館


資料館前で楽しむ子供たち



帰りの道で。高校時代、自転車通学で通っていた道。道の真ん中にある当時の地蔵堂がまだ健在で感激。





後日、冷たい雨の日に資料館に入館しました。




雨の回遊庭園


奈良帰省日記 2008 (3) 世界遺産 薬師寺、唐招提寺、平城宮跡を歩く 《1》 | 2008.4.29 |



平城宮跡



平城宮跡へ 2008.4.29

電車で平城宮跡へ行くつもりをしていたが気分が変わり家から歩いてみることにした。
家を出て県道に入り子供の時に通っていた地元道へ迂回して九条駅に出る。付近の道が整備されきれいになっているので少し脱線してこちらを歩いてみる。

と、平城京西市跡と石碑ができていた。2010年に開催される遷都1300年記念事業の一環だろうか。ここはまだ郡山市、西市がこのあたりだったとは。少し行くと西市船着き場跡もあった。秋篠川が市場へ物資を運ぶ運河として利用されていたらしい。

自転車道を通ってまず薬師寺を目指す。まだ春の名残の菜の花がたくさん残っている。菜の花の菜種油を燃やしてそのすすから奈良の伝統工芸品である墨を作る。

それにしても帰省するごとにふるさとは美しくなっている。
自転車道をウォーキングする人もちらほら。若者はグループでにぎやか、初老の人々は一人で歩くのが目的のように一点を見つめてすたすた歩く。もうちょっと楽しく歩いてもいいのでは・・

家を出てから1時間あまりで薬師寺へ。あちこち道草しながら歩くので思わぬ時間がかかっている。
子供の時は1300年前の東塔と豊臣秀吉が造ったという仮金堂があっただけで堂内のみ拝観料が必要だったが、再建が進み堂宇が建ち並び拝観料も800円。

少し北にある唐招提寺を目指す。唐招提寺は解体修理中で通り過ぎ、自転車道を通って平城旧跡を目指す。

東側に平城旧跡が見えてきた。秋篠川沿いに歩く。このあたりの秋篠川は川を利用して庭園が造られていたとのことで京都を考え合わせて想像してみた。



郡山を出発




平城京 西市跡


薬師寺塔を


秋篠川と自転車道


薬師寺両塔


1300年の薬師寺東塔


30年満たない薬師寺西塔


10年満たない猫たち






近鉄西ノ京駅




薬師寺の花


唐招提寺へ




唐招提寺


菜の花がきれいです さらに歩いて




平城宮跡の朱雀門が見えて・・ 遠く大仏殿と三笠山

つづく

奈良帰省日記2008(2) 厚生年金保険が消えている!-年金確認に市役所へ | 2008.4.28 |



今回はエア・インディアで帰省。香港発が朝8時5分となったため、香港上水から路線バスを使用できるようになったので試してみましたが、早朝のためイミグレは皇崗(落馬洲)のみで上水へ移動のためタクシーを利用したりと面倒な割に料金が安くならないのです。まああとはケースバイケースでしょうか。

深圳のマンションからのルート
タクシーで皇崗へ 30元 - 香港・落馬洲から上水へ タクシー43元(38+荷物代) - 上水からバスで空港へ 28元。
これで皇崗(落馬洲)から空港まで71元かかります。イミグレの簡単なワゴンバスに乗ると150元(値切って130元)必要なので安いには安いのですが手間が多過ぎて重い荷物を持っている時は考え るかもという感じでした。


話題沸騰の年金保険を確認に行きました。
やっぱり・かどうかわかりませんが日本にいた頃支払っていた厚生年金保険分が消えていました。
友人もまともな記録になっていなくてすったもんだしたそうです。
皆様もご注意を。

年金保険の確認へ 4月28日

郡山市役所へ。年金保険担当者は男性と女性の二人だった。順番を待っている時に先の人のやりとりを聞いていると、男性の方はかなりぞんざいな口のきき方。あまり応対してほしくないと思っていたら彼の方に順番が来てしまった。しょうがない。

年金保険を確認すると国民年金しかかけていないようになっていた。目が点。これが過去の支払いの全てだという。厚生年金分はどこへ行ったのか・・・
僕が香港に出て働くようになった時、この同じ場所で厚生年金から国民年金に切り替える手配をして自動引き落としの処置もした。どうして厚生年金保険が消えているのか・・

彼はすぐどこかに電話をして確認してくれた。が・・・
「厚生年金分を追加するためにはこの書類に記入して提出しないと追加されませんよ!」と。こちらに落ち度があったような言い方にむかつく。
少し感情的な会話のあと、彼の「私に何の責任があるのか。私の何が悪いのか。」と開き直るようなせりふに驚く。
「これはそちら側が『ミスがあったのですみませんが協力してください』という話ではないのですか?」と僕。

話を進めていくうちに、さっきの電話で僕の厚生年金保険の記録は全て残っていることを彼が知ったらしいことがわかった。で2つの保険が同じ人物と認識していないだけのようだ。
僕の年金手帳には両方の番号が書かれているし、厚生年金から国民年金に切り替える時にはここにきて相談した上で切り替えている。まさか・・そのときに彼らが登録するのを忘れたのか・・・

彼は書類を持ってきて書き始めた。「これを年金番号XXXと合併してください」と言うようなことが書かれたはんこをバン!と押している・・やっぱり忘れていたのではないのかな・・彼の愛想もよくなっているし・・・
不愉快なひとときだった。


このあとデジカメを買いに大阪へ行きました。
事前にネットで調べているので選別するだけ。
ニコンP80を選びました。ちょっと高級感のあるボディなので中国での盗難が気になりましたが対策は後で考えるとしてとりあえず決定。免税扱いにしてもらって5%引き。
今回の目的はマニュアル撮影ができること。これで明日からとりまくるぞー。

それにしても日本橋、来るたびに寂れていくような印象が・・・普通の街並みになっていくような。まあ日本橋は繁華街から離れているし通勤帰りとかに寄るような手軽さはありませんので繁華街に販売の中心が移っているのでしょうか・・
でも考えたくないですが、まさか大阪が古商都になっていくのではと一抹の不安が・・大阪がんばれ

明日は平城宮へ


平城宮跡 2008.4.29


奈良帰省日記 2008 (1) | 2008.4.27 |

奈良帰省日記2008

今日17時に香港へ、7時過ぎ深圳の我が家に戻りました。
日本ではネット環境が整わず文明に取り残された気分でした。

帰省は前半、予想しなかった暑い日が続きましたが、ここ数日3月下旬の気温とのことで寒暖の差が激しくて少しのどをやられたもよう。
でも今回の帰省は深圳の流れを引きづって奈良のあちこちを歩き回っていつになく楽しくて初めて深圳に戻りたくない気持ちが・・
でもこんな気持ちになったのは深圳の山歩きで楽しさを覚えたせいなので事情は少し複雑。

で帰省2週間で歩いたのは18万歩あまり、距離にすると90km程度、デジカメを新しく買い撮影した写真は1500枚あまり。
次回から少しずつ紹介します。



葛城山山頂の高原から金剛山を遠望 2008.5.6

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